コーヒーブレイク

自宅出産

第三子・麻衣(まい)の場合

第3子の麻衣は予測がついていました。出産予定日は平成1628日で、その日の月齢や潮目も事前に調べていました。当日は満月で大潮。満潮は水俣港で935分でした。現実の出産は医者の言う予定日と偶然同じの28日で、出産時刻は満潮時と13分違いの948分でした。

第3子の麻衣の時は、いわゆる、袋子(ふくろご)でした。胎児の周りにある羊水は薄い膜(卵膜)で包まれています。通常はそれが狭い産道を通過するとき割れ(破水)、胎児は先行して流れ出し、胎児は羊水で濡れた産道を抵抗少なく通って出てきます。ところが麻衣は袋に入ったまま出てきました。

初めての自宅出産。それまで入手した僕のにわか情報では「逆子(さかご)でなければ頭から出てくる。だから最初、見えるのは頭の毛、つまり黒いかたまりが見える・・・」でした。しかし、見えたのは白い物体。悪い予感がよぎりました。しかし、だんだん物体が近づいてくると、白いものの中に黒く揺れるものがありました。実は、それが胎児の髪でした。予想を上回る出来事に、心臓は破裂しそうでした。


ありったけの暖房機を用意。

また、赤ちゃんの入っている袋は、出産が進むのに合わせて風船のようにが膨らみ、見る見る大きくなりました。そして全部出た瞬間、音さえしませんでしたが「パン!」と割れ、一気に羊水が周りに流れ出ました。同時に取り上げたつもりの赤ちゃんは袋が割れた勢いもあって、手元から離れました。「あっ、どこへ行くんだよ。」と両手でつかまえようとしましたが、体がヌルヌルしていていて、つかんでもすべってなかなか掴めませんでした。まるでウナギのつかみ取りのような感じでした。

やっと握ったかと思ったら、妻から「早く顔を拭いてあげて!」と助言される始末。冷静さを取り戻し、赤ちゃんの顔に付いた袋の膜をガーゼで拭こうとしましたが、ガーゼがすぐに見つかりません。またまた妻から言われて、お膳の上に置いていたガーゼで顔を拭きました。

そこでまだ呼吸していないことに気付き、あわてて背中を「トン、トン」たたきました。そうしたら、やっとか細い声で「アーァ」となきました。

 その後、産湯で体を洗い、産着を着せました。ただ、大きな失敗もしました。約5060cmあるヘソの緒を切る時、赤ちゃんの体から4pくらい離れたところで切ることばかり頭にあって、その先の母体からつながっているヘソの緒を糸で結ばなかったので、切った直後、臍帯血が流れ出てしまいました。また、赤ちゃんに栄養を送り続けていた胎盤を出すのには緊張しました。電話で産婦人科に電話しながらそのタイミングを見計らいました。「痛い、痛い」といっている妻のお腹をマッサージし、そのあと氷枕で冷やし、約2時間半後、ヘソの緒を2本の指に巻いてゆっくり引き出しました。すると、ズルッとした感じで抵抗もなくヘソの緒とともに出てきました。これが自然分娩だ!と改めて思いました。妻は「すっきりした!」といって安心した表情に変わりました。標高540m。厳寒の矢岳。外には数日降り続いた雪が残っていました。

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